しらたまの飲酒ブログ

日本酒ばかり飲んでいたら、他の人は消えてしまった。別ブログではその辺の雑草とか採って食べてます→ https://shiratamarr-michikusa.hatenadiary.jp/

日本酒を語る言語について

非言語的事象を言語的表現に置き換える技術は、やはり西洋のお家芸だなと思う。「他人なんだから言葉で言わないと伝わらない」という根本的な感覚のもと、「どう美しいのか」「どう素晴らしいのか」を語る技術が構築されていき、感覚のみに依存しない理性的な探求を可能にし、文化や学問へと高められ、新参者のための体系的な教育システムの整備を促し、新参者たちがその分野の更なる発展をもたらす。

文化的発展とは、諸現象の言語化エクリチュール化の過程そのものである。

 

 

 

私が日本酒を飲み始めた頃たいそう困ったのが、飲んだ日本酒を語る言葉として「美味い」「いい香り」「いっぱいちゅき♡」以外の表現方法を持ちえなかったことだった。

どの酒も「いっぱいちゅき♡」としか認識されてないので、後から思い出そうにも、どの酒も「いっぱいちゅき♡」でしかなく、区別がつかない。かくして、「いっぱいちゅき♡」が見境なく累積していくだけとなる。それはそれで幸せな状態なのだが。

 

日本酒バーなんかに行くようになって、ああ、この銘柄は甘い部類に入るんだなとか、こういう酸味の酒は出汁と合わないんだなとか、一つ一つ覚えていって、なんとなくの分類がぼんやりとは見えてくる。

 

しかし、まだよくわからん。

日本酒バーにいくと、爽酒・薫酒・醇酒・熟酒の四象限の図が置いてある。これは日本酒サービス研究会・酒匠研究会連合会 (唎酒師の資格を仕切ってるところ) による分類なのだが、日本酒バーに置いてあるええ香りの酒は7, 8割方爽酒か薫酒なので、結局どう違うねん、となってしまう問題点がある。

この分類法では結局「いい香り」「なんか強い感じがする」「スイスイいける」という程度のざっくりとした感覚しか捕捉できてないので、果たして分類ツールとして機能しているのか、ちょっと疑問である。

 

 

日本酒を語ることへの苦手意識がなくなったきっかけは、ワインソムリエの北原康行さんの本だった。

 

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地域でざっくりと傾向を捉える考え方が分かりやすかったし、何より、香りの語り方が緻密で面白い。

たとえば、「米の香り」を表現するにしても、精米した生米なのか、炊きたての白米なのか、冷めたご飯なのか、つきたてのお餅なのか。「バナナの香り」の場合は、まだ青みのあるバナナなのか、シュガースポットが出た熟したバナナなのか、フライパンでソテーしたバナナなのか。

描写の細かい直喩で表現するのは、人によって印象の差が出にくくて合理的だ。

このやり方はワインの人ならではで、ワインを語る言語は豊富なんだなと感心した。

日本酒を勉強するにしても、思考の体系としてワインをある程度勉強する必要性を痛感している (痛感し始めてから早2年が過ぎた)。

 

ワインにはアロマホイールという、代表的な香りの一覧表があるが、あれの日本酒版を自分の頭の中に作れるようになるのが私の一つの目標になるのだろうか。