愛用している酒器について - 玉川堂の鎚起銅器
日本酒そのものの記事を書いてきたけど、そろそろ酒器についても書いてみたい。
器については完全な素人で、のめり込んでいるというほどでもないのだが、気に入った酒器が見つけるたびにちょこちょこ買っている(お猪口なだけに)。
猪口・ぐい呑・片口など合わせて10数脚程度持っているだろうか。そしてそのうちの9割が、新潟県燕市の玉川堂(ぎょくせんどう)さんの鎚起銅器(ついきどうき)の酒器である。
鎚起銅器とは、一枚の銅板を叩いて延ばして器に整形していく伝統技法である。
木槌で叩いた痕がそのまま模様と風合いを形成する。
4年ほど前、越後湯沢のほうへ旅行に行った際に、食器やカトラリーが売られているショップで一目惚れして購入。以来、玉川堂さんがすっかり好きになってしまい、酒器を少しづつ買い集めている。
銅は鍋やフライパンの素材にも使われ、その熱伝導率の高さから愛用する人も多いが、熱伝導率の高さは酒器にしたときにも大きな利点として働いている。冷酒を注げば器も冷たくなり、ぬる燗を注げば器も温かくなる。朱に交わって赤くなる銅。かわいい。
新潟県の燕三条という地域は金属加工業が盛んで、燕市は金属食器・カトラリー類の製造、三条市は刃物をはじめとした鍛造業が有名。江戸時代、信濃川の氾濫に悩まされていた農民のため、城主が和釘の職人を招き、農民の副業として鍛冶を奨励したのがルーツ。なんで和釘かというと、江戸で火事がバンバン起こるので、町の再建のたびに和釘の需要が大量に発生したため。しかも信濃川流域の河川網を活用できることも物流上有利に働いた。
江戸時代・元禄の頃には銅山が開鉱され銅の生産が始まるとともに、明和には奥州の銅器職人により鎚起金工技術が伝えられた。
なんやかやあって今に至り、私はその銅器で酒を飲ませていただいておりますありがとうございます。
(↓出典。何気に面白い。地域史のエモさを感じる)
ここからは、私の美杯たちをひたすら紹介したい。
青地・金ちらし。
初めて買ったのがこのぐい呑。雪解け水流れる早春の深い信濃川の水底に、きらきらと月の光が注ぎ込んでいるような美しさである。
金が勢いよくあしらわれたぐい呑に対し、片口の思慮深い佇まいが対照的で面白い。
とんぼ。
彫りはかなり高度な技術で、熟練の職人さんしかできないらしい。呑気な顔でかわいい。
平形。
こちらはスタイリッシュな仕上がり。波があしらってあるものと、そうでないもの。シンプルながら存在感がある。この均等な木槌の跡を見て。
酒器ではないが、一輪挿しの花器。
器自体に華やかさがあるのに、どんな花にも馴染み、決して邪魔しない。花を挿したかったけど手元になかったので、偶然家にあった稲穂を挿してみた。全然合ってるじゃないか。
上から見ると、少し草間彌生みがある。
朴訥とした渋いぐい呑。
実はこれは自作である。(職人さんに9割くらい手伝ってもらったけど)
燕三条では毎年10月に『工場(こうば)の祭典』というイベントをやっており、このエリアのモノづくりの工場を見学したり体験させてもらえたりする。包丁をテッカンテッカン叩いてるところを間近で見られたりするので、調理器具好きとしてテンションがめちゃめちゃ上がる。
玉川堂さんでもこのイベントの時期にぐい呑製作体験をやっており、倍率3〜4倍の抽選を見事勝ち抜き、いそいそと新潟へと飛んだのだった。
抽選をどうしても勝ち抜きたかったので、私と玉川堂さんの酒器との出会い、銀座の店舗でぐい呑を追加購入したこと、製作体験の前年には初めて燕三条の玉川堂さんの本店を訪れたことなどを、オタクらしい長文にしたためて応募した。製作体験当日、受付のときに玉川堂さんの方が参加者一覧表で来た人をチェックしていたのだが、その表の右端に備考欄があり、私の備考欄には上述のオタク長文がなぜか全文載っており、参加者の中で1人だけエクセル数行分のスペースを使っていた。さすがに恥ずかしかった。
玉川堂さんは東京の拠点は、もともと青山にあり、その後銀座(GINZA SIX)にもできたのだが、昨年11月、青山店は閉店してしまったようだ。
店に行くと懇切丁寧にいろいろ説明してくださるので、是非行って実物を手に取って見てほしい。
燕三条エリアはラーメンも旨いし、道具好きの人には超絶楽しいところなので、是非遊びに行ってみて下さい。